【白血病】になった意外な芸能人まとめ!闘病生活の行方を紹介
芸能界で活躍する人は非常に多いので、「白血病」を患って闘病生活を送る事が発表されるケースも少なくありません。
「血液のがん」とも呼ばれる白血病は、闘病生活が非常に過酷で現場に復帰できる芸能人はそこまで多くないんですね。
では、白血病を患った芸能人には、どんな人がいるのか気になりますよね?
ここでは、白血病になった芸能人12名について紹介していきます。
白血病になった芸能人12名
ここから白血病になった芸能人12名を紹介していきます
「本田美奈子」…白血病を患って1年あまりで死去していた
歌手「本田美奈子」さんは、"天使の歌声"と称されるほど美しい声と他者を圧倒する歌唱力が話題となりました。
1985年に芸能界デビューした彼女は、舞台女優も演じるようになり今後の活動が期待されていた矢先に、白血病と診断されます。
骨髄移植や化学療法により、懸命な治療が続けられ、本人も芸能界へ復帰する気持ちを持ちながら闘病生活を送ったのです。
1年にも及ぶ闘病生活を送りましたが、現実はとても残酷な形で彼女を迎え入れました。
彼女の死は、当時の世間に大きな衝撃を与え、根強いファンは今でも彼女のファンでい続けています。
「アンディ・フグ」…"急性白血病"で倒れた同日に死去していた
格闘家「アンディ・フグ」は、20世紀を代表する格闘界の芸能人です。
K-1全盛期を支えた「アーネスト・ホースト」などと、熱戦を繰り広げており知名度はかなりのものでした。
きさくな性格で、様々なバラエティ番組に出演するなど、色々な分野で活躍していましたが、2000年に「急性白血病」で倒れます。
1日も乗り越えることができず、同日に死去したのです。
ファンにとっては非常に悲しい結果となり、泣き崩れる者が続出しました。
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「大豊泰昭」…"急性白血病"が原因で死去していた
プロ野球選手「大豊泰昭」さんは、台湾出身の大学野球の選手でしたが、知人を通して日本のプロ野球に参入。
松井秀喜選手とホームラン争いをするなど、長打力が自慢の選手でしたが、引退した後の2009年に急性白血病を発症。
懸命な治療や闘病により、一時的に持ち直しましたが、再発したことで死去しました。
白血病は完治したかに見えて、再発する特徴があるので持ち直したとしても油断はできません。
「桂文治」…"急性白血病"を発症して1ヶ月足らずで死去していた
十代目「桂文治」さんは、戦後の暗い世の中を持ち前の語り口や話術を用いて明るくさせました。
落語は喋りを武器に人を笑わせ、そして明日を生きる力にする存在であることを、片時も忘れなかった桂文治さん。
78歳にして落語界の頂点に君臨したと思われた矢先、急性白血病のために倒れてしまいます。
年齢的なものも重なり、発症してから1ヶ月足らずで死去し、落語界に大きな衝撃が走りました。
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「夏目雅子」…"急性白血病"で27歳の若さで死去していた
女優「夏目雅子」さんは、1976年に芸能界デビューしてから、そのルックスが話題を集め同世代の男女に絶大な人気を誇りました。
演技力も次第に身に着けてゆき、大河ドラマ「西遊記」では女性でありながら三蔵法師を熱演し話題を集めます。
そんな彼女ですが、27歳の時に急性白血病を発症し、1年を乗り越えることができずその年に死去したのです。
あまりにも早過ぎる死に、多くのファンが悲しみに暮れましたが、彼女の意思を継ぐ形で「夏目雅子ひまわり募金」を結成。
今でも、この募金活動は行われています。
「市川團十郎」…"急性骨髄性白血病"の再発で死去していた
歌舞伎俳優「市川團十郎」さんは、市川海老蔵さんの父親として有名で、歌舞伎界のレジェンド的な存在です。
彼の演技を見た者は震えてしまうほどと言われ、その演技を観たいがために何度も舞台に足を運ぶとのこと。
そんな市川團十郎さんですが、「急性骨髄性白血病」を発症し、骨髄移植をして何とか治療をしていました。
元気になった姿を世間に見せて安心させていましたが、再発してしまい66歳で死去したのです。
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「中島忠幸」…"急性骨髄性白血病"で35歳の若さで死去していた
お笑いコンビ・カンニングの「中島忠幸」さんは、エンタの神様でブレークしてこれからのお笑い界を背負う逸材として注目されていました。
ところが突如として「急性骨髄性白血病」を発症し、そのまま闘病生活を続けることに…。
カンニング竹山さんは、中島忠幸さんの奥さんに自分が稼いだお金の半分を「2人で稼いだから」という理由で送っていたんですね。
頑張って治療を続けていましたが、2006年に35歳の若さで死去しました。
「渡辺謙」…"急性骨髄性白血病"を完治して元気になっていた
ハリウッド俳優「渡辺謙」さんは、1989年に急性骨髄性白血病を発症し闘病生活がスタートしました。
これから俳優として成長していき、面白くなっていく矢先の白血病に、多くの国民は衝撃を受けたのです。
一度は完治しましたが、数年後に再発し再び入院生活を送ることになります。
それでも負けなかったのは、ハリウッド俳優としてのプライドが非常に大きかったからなのかもしれません。
2度目の白血病も何とか完治し、今では病気だったのがウソのように元気な姿を見せてくれています。
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「吉井怜」…"急性骨髄性白血病"の影響で体がボロボロになっていた
女優「吉井怜」さんは、2000年に急性骨髄性白血病を発症し、過酷な治療と闘病生活を送りました。
最初は拒んでいたものの、母親から骨髄移植をして完治しましたが、この時に血液型がAからOに変わったんですね。
また治療の為に放射線を浴び過ぎた関係で、子供ができない体になってしまい、大変ツラい時期を過ごしたことも話題に。
それでも完治して、大切なパートナーとも巡り合え、幸せな毎日を過ごしています。
「大塚範一」…"急性リンパ性白血病"で闘病生活を送っていた
アナウンサー「大塚範一」さんは、2011年に急性リンパ性白血病と診断されて入院することが発表されました。
朝の人気情報番組「めざましテレビ」のアナウンサーだったこともあり、この事実は世間に大きな衝撃を与えたのです。
その後症状が落ち着いてゆき、2013年頃にはテレビへの復帰も果たし体調と相談しながら少しずつ活動を開始しようとしていたんですね。
ところが、本格復帰をする直前に、白血病が再発してしまい、またもや闘病生活を送る事に…。
今も懸命な闘病生活を送りつつ、情報バラエティ番組に時々出演をしています。
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「服部海斗」…"急性骨髄性白血病"と診断され17歳の若さで死去していた
プロボクシング選手「服部海斗」さんは、2014年に急性骨髄性白血病と診断されました。
年齢が若いと新陳代謝が活発なので、その分病気の進行が速くなると言われていますが、服部海斗さんもその類だったと言われています。
発症した後、すぐに治療を開始して回復に向かい多くの人が安心しましたが、2015年に再発したのです。
再発した白血病はかなり厄介だったようで、懸命な治療もむなしく2015年に「慢性骨髄性白血病」で17歳の若さで死去しました。
「池波正太郎」…"急性白血病"と診断され67歳で死去していた
小説家「池波正太郎」さんは、1989年3月に急性白血病と診断され「三井記念病院」に入院しました。
前年の1988年末から体調を崩しており、その時すぐに病院に行っていれば、もしかしたら早期発見ができた可能性があるとのこと。
入院した時には、症状がかなり重くなっていたと言われており、入院してから2か月後の5月に67歳で死去。
彼が残した多くの作品は、ドラマ化されるなど国民の心に深く刻まれています。
白血病になった芸能人まとめ
ここでは、「白血病」を患っていた意外な芸能人12名について紹介していきました。
白血病は発見される時期や種類によって、治療法が大きく変わり生存率にも直接影響が出てきます。
芸能人の中にも白血病により死去した人が幾人もおり、医療技術が向上しているにも関わらず難しい病気だと言われているのです。
今後は、芸能人の中で誰も白血病を発症してほしくはありませんね。